2002 はじめての日本旅行

2002 はじめての日本旅行

 

10月11日より入国者数の上限撤廃、個人旅行も解禁され、以前のように短期滞在ならビザ取得は免除されることとなりました。
今まで気軽に入国できなかったため、海外からの日本入国者が増えると予想されています。日本でもいろいろな旅行支援が始まりますね。
今回は、旅のお話です。

 

Bento&co社長ベルトラン・トマも最初は日本に旅行で訪れた一人の旅人でした。
今回はその時の話をご紹介します。
みなさんも旅に出かけたくなるのではないでしょうか。

 

2002年当時の東京のガイドブック


 2002年9月、私は初めて京都に来ました。もう20年前のことです。

東京、鎌倉、日光、大阪、京都、広島、姫路など2週間かけてまわりました。
日本に着いたときの印象は「蒸し暑い」と感じたこと。そして金木犀の香り。

今でも好きな花で、この季節になると金木犀を写真に撮らずにはいられません。

東京から始まり、日光と鎌倉を1週間くらいで巡りました。
当時は若く、今では大好きな食べ物などにも興味がなく、とにかく日本を見たいという純粋な気持ちの方が強かったのです。


東京最終日、皇居に見学に行くというプランでは、皇居にも興味がなかったため、私は別行動を取りたくてガイドさんに頼み東京駅で待ち合わせをしました。
東京駅に着いてみると、とても大きな駅で、皆がどこにいるのか見つけられません。そして、渡されていた切符も京都 -広島間の切符でした。駅の人に頼んで迷子のアナウンスを流してもらいました。
まさかの日本での迷子です。30分みんなを待ちましたが会えませんでした。


パニックになりながらも、私はジャパンレールパスという外国人旅行者が使えるJRパスを持っていたので、そのパスを使い、一人で京都まで向かいました。
ポストカードを買って、新幹線でフランスの家族に便りを書いたのを覚えています。

「お父さん、お母さん、元気ですか。
僕は東京でみんなとはぐれ迷子になりました。今、東京から京都まで一人で新幹線に乗って向かっています。」

京都駅にやっとの思いで着くと、ホテルの名前を持っていたのでタクシーの運転手に見せました。でもアルファベットで書いてあり、運転手は分からない様子、
周りにいた女性が助けてくれてなんとか四条河原町にあるホテルに着きました。ホテルに着いてタクシーを降りると見たことのある旅行のメンバーがちょうどホテルから出て行くところでした。

ガイドが私に軽く言いました。

「トマ!あなたなら京都まで一人で来られると思ったから、(東京から)皆で先に出発したよー!」

今では笑い話ですが、本当に緊張の連続でした。

20年前のことなので、旅行で何をしたか何を食べたかは詳しく覚えていませんが、京都の清水寺へ向かう三年坂の写真を持っています。
京都に住み始めた頃の自分のブログでも書いていますが、その頃は電柱、電線がまだ地上にあり、綺麗な風景を邪魔しているな、と思っていました。
2002年の写真を見てください。たくさんの観光客と電線が見えますよね。

2002年の三年坂。

 

そして、こちらは今年撮影した三年坂の写真です。
コロナ禍で観光客もいませんが、電線がないのでとてもスッキリした風景になっていると思いませんか?20年経ち、変わった風景です。

2022年の三年坂

 


こちらは、四条河原町の近くにあるお好み焼き屋さん。
最近、20年ぶりに再訪しました!この2002年の旅行の時も、ここでお好み焼きを食べました。京都で食事をした中で唯一覚えている場所です。
とても美味しいですよ。㐂の屋というお店です。

 

京都から団体旅行のメンバー数人と一緒に、夜大阪に行きました。
これが2002年の梅田です。たこ焼きやおでんの屋台がありました。後ろの近代的なビルと対照的で面白いですよね。大阪では駅でオムライスを食べました。オムライスというのも日本独自のもので、おいしかったです。

当時のフランスは、東京、京都、広島、宮島を巡るのが日本旅行の定番でした。
私の最初の旅行も、その定番を巡りました。緊張しっぱなしで、詳しいことは忘れてしまいましたが、金木犀の香りを嗅ぐと今でも思い出します。

 

その後、私は京都に留学、2008年にBento&coを立ち上げ、2012年に京都店舗をオープンしました。
そしてNHK「サラメシ」という番組で取り上げていただいたことがきっかけで、京都・美山の「山匠」馳平(はせひら)さんと出会いました。今では10年以上のおつきあいになります。馳平さんは山に木材を探しに行き、それを20年以上乾燥させ(!)、選びぬいた木材でお弁当箱や家具などを製作しています。私たちはそのお弁当箱を販売しています。

20年以上かけて、やっと弁当箱作りがスタートします。そう、私もあの旅行から20年が経ちました。ようやく出発点に戻ったのです。
その素晴らしい工芸品は私を京都で働かせ、そして京都に留まらせるものなのだと考えています。

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